諏訪WALK
厳冬の諏訪湖

諏訪湖 目 次

諏訪湖は、諏訪市、岡谷市、下諏訪町に囲まれた海抜759m、周囲16km、最深7mの長野県のほぼ中央に位置する湖で、31の河川が流入するが、流出する河川は天竜川の1河川(岡谷市の釜口水門)だけです。

 
春の諏訪湖
諏訪湖岸には、桜やかりんの並木の下に散策道路や沢山の公園があり地元住民の憩いの場になっています。
諏訪市には間欠泉や足湯があり、下諏訪町には1kmの6コース漕艇場があります。
江戸時代には蜆が放流され、漁業が盛んに行われていたようですが、戦後の生活排水などで水質が悪化し、緑色(アオコ)の湖面からは悪臭が漂い環境問題になっていましたが、下水道の整備事業が進み水質改善活動の結果、水質が改善されてきていますが、透明度は1.3mほどです。
綺麗な諏訪湖に戻るにはもう少し時間がかかりそうです。


諏訪湖での大きな行事として、5月には諏訪湖レガッタ行われ、全国から強豪選手が参加しています。
8月~9月の花火大会が有名で全国から観光客が訪れています。
9月の諏訪湖一周ウォークや10月にはマラソン大会が行われており、諏訪湖岸では四季を通して夜明けから日暮れまで沢山の市民ランナーが走っています。

冬の諏訪湖と言えば、湖の全面氷結や御神渡りが有名です。
御神渡りとは、諏訪大社上社から諏訪大社下社の方向に氷が1mくらいせりあがるものを言います。
伝説では、諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへ通われた道筋で、筋の上社側を神がお下りになられた『下座(くだりまし)』、下社側を上がられた『上座(あがりまし)』と呼ばれています。
御神渡りが観測されると、諏訪市にある八剱神社の神主により神事(御渡り拝観)が行われます。3筋の御神渡りを検分し、御渡帳をひもといて、農産物の作柄等の年占いを行います。御神渡りの記録は、神渡帳によると14世紀から続いているようです。

冬の諏訪湖と富士山 諏訪湖の渡り鳥
Home

諏訪湖

上諏訪温泉

下諏訪温泉

岡谷温泉


諏訪大社

中山道

甲州道中

諏訪市の観光

下諏訪町の観光

岡谷市の観光


道祖神巡り

霧ヶ峰







湯遊.net





桜並木

諏訪湖畔には数ヶ所の桜並木があります。また、諏訪湖に注ぐ川沿いにも沢山の桜並木があります。諏訪湖周辺は、桜の時期に沢山の種類の花が一斉に咲きます。

諏訪湖畔の桜 諏訪湖畔の桜

諏訪湖畔の桜 上川の水仙と桜並木




かりん並木

諏訪市は、昭和十六年に市制を施行し平成十三年八月十日に六十周年を迎えました。この筋目の年は、折しも二十一世紀の始まりの年でありこれを記念して広く市民に親しまれている「かりん」を市木に決めました。諏訪湖周辺の特産品である「かりん」は、「マルメロ」と呼ばれる種に属し、マルメロには在来種(本かりん)とスミルナ種(洋かりん)があります。

 
かりん並木
諏訪市内に植生するマルメロは、約三百九十年前の徳川の時代、江戸城から高島藩に移植されたのが最初です。以来、今日に至るまでマルメロは諏訪の地では「かりん」と呼称され、五月に淡いピンク色の花が咲きほころび、秋には洋梨型をした橙黄色の実をつけます。
果肉は、加工食品や薬用として用いられ、昭和四十一年に整備された湖畔のかりん並木(多くはマルメロのスミルナ種)は諏訪市を象徴する街路樹として市民、観光客に親しまれています。





諏訪湖の漁業

諏訪湖では昔からシジミや川エビなど漁業が盛んに行われてきました。諏訪湖周辺の遺跡からは、縄文時代のものと見られる漁業用のおもりなどが出土しています。

大四ツ手網漁

大四つ手網漁とは、6m四方の大網をてこの原理で沈めたり引き上げたりして、産卵のため川をさかのぼるコイやフナを捕まえる伝統漁法です。

 
大四ツ手網漁
漁期は7月末までですが、運が良ければ網を上げたり下げたりするのに遭遇します。諏訪湖の春から初夏にかけての風物詩です。
伝統漁法を行う方が高齢化に伴ない年々数が減少しています。













諏訪湖のテナガエビ漁

諏訪湖漁協によると、諏訪湖のエビの漁獲量は外来魚による捕食などで年々減少し、保護のために漁期を6月の1ヶ月間に限定している。諏訪湖のテナガエビは大正11~12年(1922~1923)に霞ヶ浦から移植されたものです。

 
諏訪湖のテナガエビ漁
テナガエビは、漁師が前日昼に網製の籠を湖に沈めておくと、翌朝には駕籠にテナガエビが入っています。仕掛ける場所やエビの習性にもよるのですが、湖のエビの資源量が多ければカゴの中に餌を入れなくても充分獲れるそうです。
体長は手の長さを含め15cmほどです。











諏訪湖散策

石彫公園(湖畔公園内) 本朝二十四孝狐火の段 諏訪湖の遊覧船 湖畔公園の鉄平石

諏訪湖間欠泉 湖畔公園足湯 SAからの冬の諏訪湖 冬の諏訪湖の夕暮れ

諏訪湖畔のSL(諏訪市)
D51型蒸気機関車は、デゴイチという愛称で親しまれ、昭和11年にはじめて製造された蒸気機関車で、国鉄の主要機関車のなかで最大の製造数を誇る代表的な蒸気機関車です。このD51824号は、昭和24年6月上諏訪機関区に配属となり、以来昭和39年3月まで15年間、中央東線、篠ノ井線の主力機関車として、旅客・貨物の輸送に日夜活躍し、この地方の文化の交流、経済の発展に多大の貢献をしてまいりました。
その後、松本、長野両機関区へ転属し、国鉄の動力近代化に伴って、昭和45年8月廃車となりました。この間の稼働実績は、27年間、約170万km(地球を約42周)を走行しております。
このなじみ深いD51824号が末長く科学的遺産として、また教育資料として、諏訪湖畔に永久保存されることになりました。
曾根遺跡
曾根遺跡は諏訪市大和区を流下する千本木川沖・湖岸から300m現在の湖水面(海抜759.3m)下、約2mの湖底にあります。遺跡はかつて陸続きであり、現在は湖岸に接し湖の西方に突き出た平坦な台地で面積は23,000㎡(約7,700坪)と言われています。遺跡は1908年諏訪湖の湖盆形態を調査中に発見された湖底遺跡であります。シジミ掻きジョレンで湖底を掻きあげたところ粘土・砂。火山礫・木片に混じって黒曜石・燧石・石鏃・土器・骨角器・シカの角が採集されました。日本で初めて発見された湖底遺跡で、その立地の特異性・住民の生活様式から年代を推定すると、15,000年~9,000年前即ち後期石器時代から縄文草創期の爪方文土器を出土する遺跡と推定され、日本に於ける水中考古学の第一歩を記す記念すべき遺跡であります。
出土品は、東京大学総合博物館、諏訪市博物館に保存、展示されています。
山本喜市先生顕彰の碑
山本喜市先生は明治三十七年県立諏訪中学校(現諏訪清陵高校)に体操教師として赴任。スケートの普及発展に寄与。最初に始めた諏訪湖一周走は伝統的に継続されました。
また、諏訪湖で始めて生徒の水泳指導、集大成として、諏訪湖横断を行った。一本杖スキーで、霧ヶ峰高原を走破するなど、諏訪地方の体育発展に貢献した。
下駄スケート発祥の地
明治時代に日本に伝わったスケートが普及していったひとつの要因として、諏訪地方の特産である鍛冶屋の技術があります。明治三十九年に諏訪中学生が下諏訪の鍛冶屋カネヤマに下駄スケートの製造を依頼し、この下駄スケートが安価で作れるとあって下駄スケートは大流行していきます。当時革製のスケート靴は非常に高価だったため、それに比べて1/10程の値段で手に入れる事が出来る下駄スケートが人気を得ました。
明治三十九年には中央東線が東京から岡谷まで開通し、東京から学生やスケート愛好家が訪れるようになり、爆発的にスケート熱は盛り上がっていきます。なた、明治四十四年には中央西線も接続し、諏訪は東京・名古屋と一本の鉄道で結ばれることになり、積極的にスケート客の誘致を図りました。

冬の諏訪湖畔 冬の諏訪湖夜明け 甲州道中からの諏訪湖 冬の諏訪湖と八ヶ岳

諏訪湖畔のSL(岡谷市)
D51型蒸気機関車はデコイチの愛称で親しまれ、昭和十三年に登場した日本の代表的機関車です。このD51型蒸気機関車は、昭和十五年二月十五日日本製作所笠西工場で製作され昭和三十二年十月十三日上諏訪機関区に配属。当時日本で初めてオーストラリア国鉄のアドレフ・ギーゼンリンゲン氏が
開発したギーゼル・エゼクターを取り付け改造した1号機で改造後中央東線で7年間走り続け、この線を走った最後のSLとなり、その後昭和五十年十二月全国のSLが廃止されるまで、北海道追分機関区に配属、室蘭線で活躍した機関車です。この間、旅客と貨物輸送に尽し当地方の産業、経済、文化の発展に多大の貢献をしました。
岡谷市では、このなじみ深いD51349が廃車されるに際し、市民の科学的遺産として国鉄から貸与をうけ展示しました。
釜口水門
諏訪湖から流出する唯一の河川である天竜川。
小坂観音院からの諏訪湖 桑原城址からの諏訪湖

春の諏訪湖畔 立石神社付近からの諏訪湖 初夏の諏訪湖の夕暮れ 夏の諏訪湖の夕暮れ

桜城からの諏訪湖 下諏訪港 秋の下諏訪港 秋の諏訪湖の夕暮れ

夏の諏訪湖と乗鞍岳 下諏訪町漕艇場 春の諏訪湖(岡谷市) 春の諏訪湖と八ヶ岳

紅葉の諏訪湖と富士山 秋の諏訪湖と富士山




copyright©2013 湯遊.net all rights reserved.